幼稚園の実習で感じた、幼稚園で大切にされていたことの2つ目は、「本当の教育を…」ということ。
「本当の教育を…」の意味は、子どもたちに「本物を体験させる」ということ。
これはT園の園長先生の方針に沿い、先生方が労を厭わず行っていたことです。
特にT園では、8000本ものトウモロコシなどが植えられた畑や、何千本もの花が咲き乱れる花畑を、先生方が作り、管理しています。
子どもたちは毎日のようにそこへ行っては、作物が大きく育っていく様子を見て、触れて、感じているようです。
私が行った日も、ちょうどトウモロコシとブロッコリーの収穫ができ、すぐに園の調理室で茹であげられたものを子どもたちと一緒にいただきました。
「おいしいね~」と言いながら、とりたてのトウモロコシをほお張る子どもたちの顔が印象的でした。
小学校では、教えるべき内容が多く時間がないので、ついつい、「本当はこうなるんだよ。」で終わらせてしまう学習を、T園では、本当にやっている。
小学校には、各々の植木鉢に1本ずつ、子どもたちが育てた野菜たちが、実をつけています。
今までは何とも思いませんでしたが、8000本のトウモロコシ畑から帰ってきてみると、何だか寂しそうです。
1本ずつでは、「本当の自然の摂理やダイナミックさ、美しさ」を学ぶことはできない。
8000本あって初めて、学ぶことができることがたくさんあるんでしょうね…。
幼稚園実習でそんなことを感じていたら、ちょうど、朝日新聞の教育欄の『「ほんもの」から学ぶ』というコラムを見つけました。
以前も掲載した北陸大学教授、金森俊郎さんのコラムです。
学生さんに長さ2センチほどの糸を渡して「大人だったらこれどうする?子どもだったら?」と問うと、「大人はゴミ箱に捨てる。子どもはいじくる。」という答えが返ってきた。「子どものようにやってみて」と言うと、やがてあちこちから「わあ、綿になったあ」と叫び声が上がった。
「さっきの綿は、どちらと一緒かな」と問うと、学生は全くわからない。「こっちは綿花の綿でこっちは真綿だ」「真綿??」。おもむろに実物の綿花と蚕の繭を見せる。「繭から真綿?蚕の繭からとれるのは絹じゃないの?」
こんな調子で真綿、紬(つむぎ)を説明した後、「これが本当の天然の蚕、天蚕だよ」とヤママユガやウスタビガの繭を見せる。大きな繭にも、薄黄緑色の真綿の美しさにも、それをキャンパスの近くの森から私が直接探し出してきたことにも学生は驚き、感動する。教える私にも喜びが生まれる。
蝶・蛾や桑、シルクロードにも触れ、子どもの遊びから科学・文化の世界へと導く学びを説く。
現物が勝負だと前年から綿を育て、森に出かけて首が痛くなるくらい頭上を上げ、つまずきながら探索したからできた学びである。
小学校教員時代、『本物の人やものとの出会い』を大切にしてきた。「森は海の恋人」をスローガンに森で植樹運動を展開する漁民に学びたくて気仙沼まで出かけたりもした。今、教師はそうした授業創造にかける時間を奪われてしまった。人間も環境も、手間暇かけてこそ育つのに…。
恥ずかしながら私も、「真綿???」、「天蚕???」、「ヤママユガ、ウスタビガ???」という状態…。
本物を知らな過ぎる教師が、子どもたちに何を教えられるのだろう…。
時間がない、時間がない…と、悲観すればきりがない。
クラスの子どもたちと、そして我が子どもたちと一緒に、少しずつでも、「ほんもの」に出会う努力をしていきたいと思った。
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